[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
こうしたことに興味を持ったり、実際に出かけてみるのもいいでしょう。けれど、「そこへ行ったから」とか「お参りしたから」″何かいいことクがあるはずだと期待するのは違うと思います。
神様にすがるのではなく、自分が頑張っている姿を見せる。そんなつもりで、いることです。そして何より、家族に対する感謝、ご先祖様に対する感謝を抱いてみてください。すると自然と、世の中のすべてのことに感謝できるようになります。神様はみんなの心の中にいる――そんな風に思えるようになったとき、ク何かいいこと″もやってくるかもしれません。__
自分と血のつながったご先祖様というのは、いわば自分のルーツです。その方たちが生きてくれていたからこそ、今の自分があります。目には見えない存在ですが、確かに存在していた。手を合わせる度に、そう思えるようになって、いつも側に寄り添っていてもらえるような安心感があります。それが今の自分の自信となって、いつも「ありのまま」の自分を肯定できるようにもなると思います。自分が生まれてきた意味を考えることは、意識しなければできません。忙しい毎日の中で漫然と生きていたら、 一生考えずに終わってしまうこともあるでしょう。そんなとき、ご先祖様はどんな人だったのか、そんな風に思いをはせることは「今の自分はなぜ存在しているのだろう」という、自分への問いかけにもなるはずです。
そこから自分は何が好きなのか、何をしているときに生きがいを感じるのか、大事なことは何なのか、そんなことがはつきりと見えてきて、自分の価値観が確立していき、周囲の情報に流されることもなくなるはずです。ここ数年はパワースポットやスピリチュアルなど、日に見えない世界に対してブームが起こっています。
もしも「やつた」ことで失敗をして、ダメージを受けたとしても、それは未来への投資だと思えば、なんてことはありせん。「失敗は成功の母」という格言の通り、失敗したからこそ成功につながるという経験はいくらでもありますoでも、「やらなかつた」としたら、失敗することも成功することも一生ありませということですoそのて慎重かつ大胆に、そ04こん。見方を変えてみれば、傷つくことを恐れるあまり、成長することを自ら放棄してしまうのと同じこと。これほどの時間の無駄遣いがあるでしょうか。一生という長いスパンで物事を見てみたら、「今」何かで失敗したとしても、たいしたことではありません。ですから、常に「今」の自分に集中して毎日を過ごすことです。「過去」に起きた失敗は、昔のあなたにとって必要な経験。天このあなたは、そのおかげで立派に成長しています。「今」の自分を信じて、輝く「未来」の自分を作り上げていってほしいと思います。
私には毎日の日課があります。神棚に向かって、亡くなった祖父に現状報告をすることです。私は祖父母にかわいがられて育てられたこともあってか、ご先祖様を敬う気持ちや、自分が生まれてきたことに対する感謝が、心の中に根付いています。さらに今から10年ほど前からは、あることがきっかけで5代前のご先祖様へのお墓参りも、年に数回は必ず行うようになりました。なぜ、こうしたことをしているのかというと、ひと言でいえば「安心」するからです。
私たちが生きているのは、常に「今」というこのときですo「過去」のあのときでもなく「未来」のこれからでもありません。思えば、毎日の生活の中でいろんな決断にさらされている私たちは、迷ったり、悩んだりしたときに、「過去の経験」に照らし合わせて、答えを見つけようとすることがありますo「未来」というのは、まだ経験したことのない未知の世界です。そこには期待もありますが、同じくらい不安もありすo一方、「過去」というのはすでに経験したことである分、ある種の安心感や居心 地のよさのようなものがあるでしょぅ。けれど、「今」何かを決めようと思っているのなら、「過去」の経験を元に決断することはしない方がいいと思います。たとえば私は現在42歳ですが、経験値という意味で見てみると、自分ではまだまだ未熟であると思います。しかし過去の私と比べれば、それでも今の方が経験値は上になります。ならば、過去の私がしてきた決断よりも、今の私の決断の方が格段に信頼に足るものであるはずです。人は自信がなくなると、ぁらゆるものに頼り、すがりたくなります。でも、そうしたときの決断ほど、大きな過ちにつながることも事実です。
ですから、どんなに今の自分の決断に自信が持てなくても、過去の自分の経験に頼ることだけは、避けることです。私自身も日々、重要な決断を迫られることがありますoそこで心に問いただすのは、天7の自分がどうしたいか」うえで、右に行くのか、左に行くのか、最大限の注意を払つの答えを決めていますo私には何の挑戦もしないうちに、単に「やらない」という決断をすることはほとんどありません。それは「やつた」後悔と「やらなかつた」後悔では、どれほど「やらなかつた」後悔が無念で、長く尾を引くものであのかを知っているからです。
私は学生時代、受験勉強をするときには得意科目の成績をとことん伸ばしました。弱いところを補おうと苦手科目に時間を費やすょりも、総合点を引き上げるために得意科目で満点を目指して、志望校に合格しましたoあなたも、人懐っこさでは負けない、計算では負けない、フツトワークでは負けない、話を聞くことなら負けない……何でもいいから、自分がこれなら人には「負けない」というものを見つけて、磨てみてくださいoそれは必ずあなたの人生において、いつでもヽどこでも自分自身を守る最強の武器になりますoそれともうひとつo自分が思っている「弱み」というのは、実はあなたが短所と思いこんでいるだけで、本当は魅力元であつたりしますoこんな話を聞いたことがありますoある女優さんは、自分の手がずつと嫌いだつたそうです。
でもある日、自分にこんなに嫌われている手が可哀そうに思えて、せめて自分くらいは好きになろうと思い直しました。ハンドクリームをいつも持ち歩いて、空き時間にはマッサージ。ぉ風呂に入ったらパックをしたり、爪も自分で磨いて、いっもピカピカにしたそうです。すると、いっからか「ぁなたの手は本当に美しいゎね」自信を取り戻すことができたと言っていました。この女優さんのように、自分が弱点と思っているところと特徴のある部分。つまり「個性」でぁることも多いのです。もつとキレイになりたい、輝きたい――そう思ったら、自分だけの「個性」を見つけて、磨くことだと思います。こう思って見直してみれば、弱点も愛すべき自分の一部と思えるのではないでしようか。